豪ーめん
どうもニンニクです。
唐突だが私の昔話を、私が二郎系を好きになった経緯を、お話しようと思う。
私の活動拠点は基本大阪、たまには奈良と、関西圏が中心。
でも関西弁は喋れません。実は出身も育ちも東北・岩手県なんです。
大学入学と同時に故郷を離れ、大阪で住み始めた形になります。
あれは中学2.3年の頃。
地元にあった『豪ーめん』で食したラーメンが全ての始まりでした。
当時は今ほど二郎系という言葉が染みついてなかったように思える。
というのも、ここ数年でカップラーメン等、コンビニでも二郎系コラボ商品が陳列し、黄色と黒のカラーもジャンク&ニンニクたっぷり料理として世に浸透し始めてきた気がする。最近では調味料としても食べるラー油のような形で瓶詰めで販売している商品も目にするほどに。
そもそも大阪や東京では当時からメジャーなグルメとして確立した存在だったのかもしれないが、岩手県のド田舎に住む私は知る由もなかった。
先述した『豪ーめん』
東北岩手に数店舗構えるジャンクなラーメン屋。
ソコには類を見ない味、ニンニク入れますかの掛け声、マシという言葉。
器からはみ出て盛られる野菜の山、濃厚なアブラ、大きなチャーシュー、ニンニクの香り。
今でこそ、あれは黒木製麺 釈迦力 雄様と同じ二郎風ラーメンではと感じてしまうが、
昔から大食でコッテリ大好きだった私は衝撃を受けた。
看板に書かれた『今日も明日も豪ーめん』の文字通り、何度も通った大好きなお店だった。
醤油豪ーめん(大)
今月頭に帰省した際に、7年ぶりくらいに暖簾をくぐった。
その懐かしい香りに涙が溢れそうになる。
私は4歳の頃から高校まで水泳をしており、ほぼ毎日ハードな練習の日々だった。
故にこのアブラとニンニクが心身の疲れを癒してくれる回復薬であり、明日への活力へと繋げてくれた。
当時食べていたあのラーメンが着麺して、ふと思う。
あぁ。二郎風だな、と。
昔はここ以外にジャンクなお店を見たことが無かったから、豪ーめんis二郎と豪語していたものだが、悲しいことに私自身も変わってしまったのだろう。
(これは私自身が勝手に思っているだけだが)二郎系は味も大事だが、胃袋との格闘技であると勝手に思い込んでいることに問題がある訳だが。
そっと蓮華でスープを啜り、その優しい味に感涙する。
飲みやすい、飲みやすくも後から来るニンニクの強烈なジャブ、右フック。
だがそのパンチは加減を熟知しており、ある程度打ち込んだら一線から退いてくれる。
ヤサイとの相性も抜群でシャキッっとした食感は麺と絡みつつ、飽きさせない。
ジャンクといえども濃すぎない味で、メニューもずらりと豊富。
老若男女問わず食べやすく、ニンニクが多いため躊躇しがちなグルメであるが、とどのつまり活力剤となる豪ーめんを求め、皆集う素敵なラーメン屋。
懐かしい。この味、覚えている。
友人と食べた記憶、水泳に夢中になっていたあの頃、岩手の素晴らしさ、様々な思い出がフラッシュバックして完飲完食を迎える。
私の原点となる豪ーめんを頂けた事は大きなことに違いない。
まだまだ私の二郎系人生は始まったばかりだ。
次回『ニンニク、麺で初の涙』